だいぶまえの大晦日①

~だいぶまえの大晦日①~

今日は一年の終わりだ。
という気が全然しない。
年末の仕事が例年より忙しかったせいか、年の瀬の到来を実感せずに大晦日まで来てしまった。
今年は退院したおばあちゃんの様子を見に行くために、早めに実家に行って家族と合流し、在所に顔を出した。
台所からトイレまでの段差を板張りで無くして、手摺も着けてあったが、それでも移動は難儀しそうだ。
今日はなかなか用がたせずに、トイレで一時間くらいこもっていた事もあり、こたつに戻った後もぐったりしていて、病院にいた頃よりも疲れた感じがした。
お墓参りだけして、ご先祖様に挨拶をすますと、手持ちぶさたで、洗濯物を畳んだりしてみる。
家の中が寒いので、こたつに集まってテレビをつけながら話をしたり、お茶を飲んだりしていると、小さい頃ここに泊まったときは、もっと長い時間ここにいたのに、何をして過ごしていたんだろうと思う。
おもちゃを持ってきたり、将棋をしたのは覚えているが、それ以外の時間の記憶は感覚として残っていない。
退屈だったという記憶もない。
子供の頃は、周りに気を使わなかったから、すべて自分の時間として消化できていたのかもしれない。
大きくなると億劫になるのは、気を使う事を感覚として覚えはじめて、受け身になるからだろうか。
自分の時間でもなく、かといってこちらから向こうへ働きかけることもできない。
そんな中途半端な状態が、気持ちを受け身にするのか。
これがもっと大人になると、自分から気を遣うようになり、それが自分の時間として消化されるので苦にならなくなるのだろう。
結局自分の気持ちの姿勢によるという事なのか。
仕事と同じだ。
でも20代の頃はこの事に気が付かなかった。
子供の頃は楽しかったが、大人になるといろいろ気を遣わないといけない義務感ばかりで大変になるだけ。
そう思っていた。
30も半ばになってきた今、それが少しづつ義務でなくなってきている。
それを感じたことは、今年の大きな変化かもしれない。

さて、その後おじさんが帰ってきて、顔を見て、挨拶もそこそこに家へ帰る事に。
おじさんが、帰ってくると聞いてなんとなくそわそわした気持ちだったが、実際に帰ってきたら、互いがそぞろな雰囲気に包まれていて、少しホッとしたような、恥ずかしいような気分になる。
そんな引っ掛かりを残しながら、外は例年に無いような雪雲が漂っていた。